2012年 7月のフィールドノートから

7月10日~14日 トカラ列島口之島・臥蛇島

 5年に一度の山階鳥類研究所による海鳥モニタリング調査に同行した(前回2007年7月のようすはこちら)。今回も前半は宝島を拠点にして、小島、横当島、上ノ根島に上陸したが、その結果は5年前と重なるので、後半の口之島を拠点にした臥蛇島調査について報告してみたい。

 口之島は有人七島、無人五島からなるトカラ列島の一番北に位置し、北緯30度線が通っている。1946年2月に北緯30度以南が米軍の統治下におかれたときも、この島の北端部だけは日本であり続けたのだ。当時は闇市でとても栄えたというが、いまは見る影もない静かなたたずまいの島である。この島の半分くらいが鉄条網で囲われていて、そこに黒毛和牛の原種に近い野生牛が生息している。島は大部分がリュウキュウチクに覆われ、道端のあちらこちらに白い装飾花(萼片)が目立つトカラアジサイが自生している。県の天然記念物であるタモトユリの自生地に行ってみると、埋め戻しされた株がちょうど花をつけていた。森林の中でニホンカナヘビを発見。本土では普通種であるニホンカナヘビは諏訪之瀬島まで分布しており、宝島からはアオカナヘビとなる。さながら渡瀬線の生き証人である。

▲口之島の野生牛は黒色、茶色、ブチ(黒と白)の3パターンがいた。
▲トカラの名前を冠したトカラアジサイ。
▲一時は野生絶滅したとされたタモトユリは現在自生地で増殖が試みられている
▲奄美にはアオカナヘビしかいないので、普通種のニホンカナヘビも珍しく感じられる。

 口之島についてからずっと海が荒れており、臥蛇島に渡れるかどうかは微妙だったが、「とから黒潮丸」の船長の英断で、12日に渡ることになった。向かい風に高波という悪条件の下、通常ならば一時間少々くという航路を3時間かけて乗り切り、ようやく臥蛇島に到着した。半分壊れた桟橋からは断崖絶壁に刻まれた急坂を一気に100メートルほど登らねばならない。かつては住民が暮らしていたというが、荷揚げなどさぞかし大変だったことだろう。過疎化・高齢化によりはしけ作業に支障をきたすようになり、なおかつ水の確保が容易ではなかったということで、1970年7月に最後の島民が島を離れていたのだそうだ。いまでも集落跡には茶碗の欠片や水をためる甕などが散乱しており、昔日の島民の生活が偲ばれた。

 無人島になってからなぜか馬毛島からマゲジカが人為導入されたそうで、いまでは自然繁殖している。実際に姿も見かけたし、角もところどころに落ちていた。無人灯台の向かいに木場立神というロウソクのようにそそり立つ岩があり、カツオドリの繁殖地になっている。双眼鏡で覗くと、あぶなっかしい岩棚に真っ白な綿羽のヒナがちょとちょこ観える。付近には親鳥たちが飛び回っているが、その中に一羽アカアシカツオドリの幼鳥が混じっていた。5年前にはアオツラカツオドリの成鳥がいたというが、今回臥蛇島周辺では確認できなかった。他の鳥としては、コサギ、ミサゴ、ハヤブサ、カラスバト、アカヒゲ、アカコッコなど。イイジマムシクイは確認できなかった。

▲臥蛇島の集落跡。左奥の立神でもカツオドリが繁殖していた。
▲マゲジカの角。臥蛇島には他にもヤギもおり、食害が心配である。
▲カツオドリの繁殖地の木場立神(集落跡近くの立神とは別物)を灯台近くの絶壁から眺める。ここから双眼鏡とスコープで繁殖数をカウント。
▲周囲の会場をカツオドリが飛んでいた。
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